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作州戸川物語 当社に伝わる子授け大蛇伝説

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今は昔、津山のまちも、向うに34軒、此方に56軒と、家並が丁度歯のぬけたように散らばっていてその名も戸川宿と呼ばれていた頃のことである。

 

この宿に砂田の庄司氏勝というお金持が住んでいた。立派な邸宅、美しい着物、何不自由なき身分であったが、ただ一つ子供のいないのが人知れぬ大きな悲しみであった。

 

氏勝は50を過ぎる今の歳迄、自分の子として、真に可愛がるべき子供のないのを悲しみつつ、家の内も心の裡も暗く冷たく果ては世の中を味気なくさえおぼえていた。

 

ところが、ある夜のこと、氏勝氏の夢枕に「それほど子供が欲しいなら、宇那提森の子乞の神に参詣せよ、きっと子供を授けつかわすであろう。」と神々しい神様のお告げであった。氏勝は飛び立つ思いで、子乞の神に願をかけ、37日の参詣を続けた甲斐あって一年ばかりの後に玉のように美しい子を恵まれた。

 

冬枯同様だった氏勝の家庭には春風が吹きはじめた。千代に栄えよ、亀にもあやかれよと、その名を亀千代と呼ばれた女の子、乳母よ、日傘よと、月日のたつのは早いもの、亀千代は花をも斯く美しい少女と生立って、姫よ姫よと頂寶熱愛されたが『好事魔多し』の譬に漏れず、こうした喜びの頂上にあった庄司の家に、いつとはなしに不思議な、しかも不吉をもたらす恐怖と不安とが次から次へと襲ってきたのだ。

 

それは朝な朝な奥庭の踏石の上に、しっとりと水に濡れしょぼれた美しい草履が脱がれてあることであった。昨日も見た、今朝もあった、いや私も見たわ、と口八釜しい下働きの男女り口の端にのぼるようになると人々の不思議な瞳はだんだん不安の色に変わっていった。

 

何故に濡れた草履か、萬一お姫様にとわけても心配しはじめたのは永年付添う乳母であった。はじめのうちは、何者かが外から忍んで来るものと考えて、専らその方へ気を配っていたが、更にそのような証拠も認められず、而も濡れた草履は毎朝のごとく脱ぎ揃えられているではないか。乳母は思いあまって、外への警戒を、よもやと思われる姫の方へ転向した。

 

そして今夜こそはと隣の部屋で、姫の動静を窺っていた。身体中を耳にして。するとだんだん夜が更けた丑満刻遠寺の鐘の音、枕に落ちて陰に淋しい頃になると、かすかに聞こゆる衣ずれのけはい。「おや」と思わず聞き耳を立てる。無意識に上半身を起こす。姫の部屋に行燈は消えて、すうと障子が開く。「さては」と、乳母は跳ね起きる。それとは気づかぬ亀千代は、身も心もいと軽やかに、静かに雨戸を繰って奥庭へ下りた。そして、奥庭から門をくぐって西へ西へと、宛ら通り魔のごとく、足音ひとつたてないでひた走りに走っていく。あれ、お姫様が、と乳母はあまりのことに思わず出かけた声を抑えて様子如何にと一目散に姫のあとをば追うたのであった。

 

折柄、3日の月が空に冴えて、あたりには人影ひとつ見えなかった。水の底のような静寂な真夜中の町、その町を突き切って姫の姿が亀が淵の橋の上に見いだされたのは、やがて間もないことであった。姫の姿は落ちかかった月影にもの凄いほど美しく浮かび上がっていた。そして、何を見とれているのか、何を考えてか、じっと青白い水面に見入りながら身動きひとつしないのである。

 

刻一刻時はたっていく。物影からその場の様子をうかがっていた乳母もたまりかねてか、「お姫様」と呼びかけながら、姫の袂をつかまえようとしていたが、思わず「呀」と驚きの声をあげたまま立ちすくんでしまった。

 

驚いたのも無理はない。水の面にありありと映って見えたのは美しい姫の姿に似も似つかぬ世に怖ろしい大蛇の頭。一方は乳母の叫び声に、忽ち我に帰った姫であった。

 

自分の正体を見つけられた恥ずかしさに、ひらりと身を踊らせてさんぶと淵に飛び込んだ。水は見る見る姫の姿を呑んでしまった。乳母は一度ならず二度の驚き、身も世もあらず嘆き悲しんで、最前の怖ろしさも打ち忘れ、永い間手塩にかけた懐かしさ慕わしさに、お姫様お姫様と狂わんばかりに泣き叫んでいると、不思議や淵の底に薄ら明かりの色が潮して、水を渦巻き、飛沫をあげ、波立ち騒ぐと見るうちに物凄い大蛇の形相、ぬっとばかりに大きな鎌首をもたげて、じろじろと名残惜しそうにに乳母の方を見たのであった。

 

恐ろしさとも浅ましとも、あまりのことに、乳母は魂身に添わず、宙を飛ぶようにして庄司の家に帰ってきた。庄司一家の悲嘆は言うまでもない。家庭は一層苦楽冷たいものになっていった。かくて時代すぎて何百年かたった後、夜な夜な宇那堤森に大蛇が出て、髙野の宮の鳥居にかかった神額の金箔を嘗めていたという噂が伝わった。

 

やがて村人達がその額に毒を塗って大蛇を殺めたということだった。今も宇那堤森と共に、姿見橋、龍澤寺、蛇塚等の名が残って、子授けの伝説として今も伝えられる。

 

庄司氏勝には子供がいなかった。ある日髙野神社にお参りすれば子供がさずかるという夢を見た。そく夫婦揃って髙野神社に出向いた。2人が神社に籠もっていると、手に黄金の亀をもった人があらわれて、その亀を奥さんの胸に入れるしぐさをした。そこで目を覚ました。なんと十ヵ月後女の子が

 

※津山郷土読本 参照