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御先神社 祈願成就伝説

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今からおよそ300年前、津山城主森公の家臣に吉田長左衛門と云う者おった。

 

寛永のころ、その子作左衛門は力が強いので、いつもそれを自慢していた。

 

ある日友人達と相撲をとったが、だれも勝つ者はなかった。そこで一層自慢の鼻高くした作左衛門は下男市助に相手を命じた。市助も又相当な力持ちであったので、よく頑張って、とうとう作左衛門を投げ飛ばした。そのことを長左衛門、作左衛門の父子は大変腹を立て、主人に対して無礼だと云うので、とうとう市助を手打ちにしてしまった。

 

市助の父は大変かなしみ、市助のなきながら背負って髙野の宮に参り、罪のないのに殺されたことを申し上げ、神様にお祈りしたがとうとう気が狂い、家に帰ってあらぬことを口走っていたが間もなく死んでしまった。

 

その後吉田家の家には次々と不思議なことが起り、長左衛門父子を苦しめたが、或夜下女に対し「我は髙野神社の末社御先神なり、長左衛門父子が市助を殺せしことを最も無道なれば夜毎に神罰を加うるものなり」と云うあやしい声が、高い空の上から聞こえてきた。そして最後に筆と紙を出せと云うので、急いで筆と紙を取りそろえて来ると、それがあっという間に空にまい上がり間もなく次のような歌を書いた紙が降って来た。皆がそばに寄って見ると

 

「忍ぶれどこいしき時はあしひきの

      山より月の出でてこそくれ」

 

という紀貫之の歌が美しい文字で書いてあった。一家の者は大変驚きおそれ、この紙を髙野神社に奉納して自分達の悪かったことをおわびしたが、程なく父子とも死んでしまった。その後も吉田家には、神罰が絶え間なく続いた。